大連の工場での食事

 先日、ある人と「中国人のふつうの食事って何?」という話がありました。めちゃめちゃお金持ちから酷い貧困層までいる現在の中国の中でのふつうの中国人って何?という問題があるので、ふつうを答えるのは難しいのですが(笑)、私の大連での職場だった工場での食事、というのはひとつの目安になるかなあ、なんて思いました。駐在時の記事には職場の画像を極力出さないようにしていましたが、駐在終了から5年も経ちましたしまあ良いでしょう、というわけで、工場の食事の画像を出してみます。
  • 大連開発区の日本資本の工場
  • 工場内にある従業員食堂
  • 昼食、従業員は日本人の総経理から下っ端作業員までみなここで食べる
  • 画像は2008年頃のもの
 とまあこんなところです。

大連工場の食事1
 銀色のトレーに、基本肉または魚料理が1つ、野菜の温菜・冷菜が1つずつ、やる気のない(?)スープが1つ、そしてご飯、という構成でした。

大連工場の食事2
 スープにわずかに浮いてる赤っぽいのはトマト、だった気がします。炒め物にはカリフラワーなど、日本人のイメージだと洋風の野菜、と思われるようなものでも、料理にはふつうに使われていました。

大連工場の食事3
 中央下にあるのは「豆腐皮」とネギの青い部分です。右上のあんかけ肉を、ネギと合わせ豆腐皮でくるんで食べるんだ、と教わりました。けっこうよく出たメニューだったよう記憶しています。

大連工場の食事4
 ちょっと豪華な鶏の足です。また、スープがすいかになってますが、夏はこういう日もけっこうありました。すいかは(も?)日本と比べてかなり安く、なじみのある果物であったよう記憶しています。

大連工場の食事5
 ご飯以外も選ぶ事ができ、時々それ以外を食べる事もありました。この画像のは、いったい何だったかな……?

大連工場の食事6
 魚の唐揚げが出る時もありました。固くて慣れてないと食べ難いです(笑)

大連工場の食事7
 蒸し餃子みたいなのが出る日もありました。この場合は、蒸し餃子+冷菜1品+スープ(またはすいか)でおしまいです。これがなかなかおいしくて、私はこの食堂で一番好きなメニューでした。私の駐在最終日に、これを出してもらったのは良い思い出でしたねー、しみじみ。

コメント

あなお

銀色トレイに銀色の箸で食べる中華料理、
懐かしいですね~。

やる気のないスープですが、たしか時々酸辣湯になったりしてましたね。

わたしは写真にもある鳥もも肉が好物でした。食べ応えあって味も染みてて美味しかったです。

krzo

鶏料理
>あなお様
鶏もも肉は出る料理の中では一番豪華感があったかと思います。同じ鶏でも首の部分の料理は、(きれいに)食べるのが難しかったですねー。懐かしい思い出です。

日夜浮かぶ

洗面器みたいなどんぶりからステンレストレイへ
Krzo様
新年早々なつかしいランチをありがとうございます。この前は洗面器みたいな大きなどんぶりに白くないご飯の上に「中華どんぶりの具」を
のっけるものが多かったです。主に白菜と豚肉ですが。
それでもステンレストレイに変わったのは90年代で立派なものでしたが、私の勤務していた会社の若い人たちはとても食べる気になれなくて
菓子パンや弁当を買ってきてましたので、契約書をよくみると日本人には和食系の弁当を提供することも可とありましたので それに変更したら若い人たちは貴兄の写真のように撮って
本社に報告していました。中華は3ー5元でしたが、和食は20元でしたが邦人の午後の活力にはこれが一番でした。

krzo

食事と士気
>日夜浮かぶ様
コメントありがとうございます。白くないご飯というと、私の記事の3枚目の写真みたいなものでしょうか?

私の駐在していた工場の食事でも、やる気のないスープ(香菜入り)には我慢できない日本人が多く、これだけは(日本から持ってきた)味噌汁にする、という対応をとっていました。私は現地に行けば現地のものを食べる主義でしたが、まずいものを我慢して食べてると士気が落ちる、というのもよーくわかります。私が駐在していた頃(2007~2011)より前だと、それはいっそう強かったのでしょうね。

日夜浮かぶ

白くないご飯
90年代はまだ白米が少し灰色気味でした。
3枚目のは赤飯みたいに見えますね。
しかし開発区の工場は30人の会社でも大会社と同じように、地域の給食会社から朝昼晩の3食を工場内のちょっとした調理場で温かいご飯とオカズを出してましたね。日本人が数名で
冷めたご飯とオカズ(和食もどきの)を弁当箱の蓋をあけて食べているのをそんな冷えたものを食べたら胃によくないと思っていたようです。

krzo

昔の中国の食事
>日夜浮かぶ様
私のイメージする白くないご飯とは、豆とか雑穀の混ぜ物入りのご飯でした。90年代は、白米でも灰色だったんですか……

暖かい中国メシと冷たい日本(風)メシのどちらを取るか、当時の日本人はほとんど後者でしたか。その頃の厳しさって事でしょうね……今はそのへんが楽になった反面、中国での仕事で得られる利益も少なくなったのでしょう。

日夜浮かぶ

長粒種のパサパサ飯
80-90年代は貧しくて、いわゆる長粒種のパサパサ
飯で、それを小型の洗面器のようなホーローの椀に半分ついでもらって、その上に隣のカウンターで「中華どん」スタイルのおかずを載せてもらって(白菜主体、肉野菜少々)で、工員たちは座る場所というか食堂もなく、壁にもたれて立って食べていました。それでも彼らは嬉しそうな顔でした。故郷ではそんなにたくさん
腹いっぱいに食べられなかったのですから。
90年末ごろにステンレス生産が増えて、Krzo
さんの写真のように「進化」したのです。
日本の工場飯よりうまいと感じたこともありました。

krzo

中国の90年代以前
>日夜浮かぶ様
00年代前半の話は既に行っていた同僚さんにいろいろと話を聞かせてもらう事ができたものの、90年代以前となると私にとっては完全に未知の領域です。腹いっぱい食えるのが第一の時代だったんですねえ……

中国での滞在体験というのはその場所で大きく異なるものとなるかと思いますが(大連中心部と田舎で既に大違いと感じました)、10年くらいの時期のずれでこれまた大違いのようですね。私の持っている中国の知識も、あと数年で『どれだけ昔の事言ってるんですか!』みたいに言われてしまうのでしょう。寂しい事ではありますが、だからこそブログで残しておく価値があるとも言えるのでしょう。

日夜浮かぶ

白米を腹いっぱい食べられるというのは、何も中国だけでなく、昭和3-40年代の地方から東京や大阪に出てきた(私も含め)若者にとってこんなうれしいことはなかったと思います。
白いご飯に生卵をかけたのがご馳走でしたから。それと比べると、90年代(これが昭和40年代に相当するか)の地方から出てきた若者の食事は豊かだったと思います。3食付きの寮ですから、拘束はありますが、朝抜きの日本人よりこと「食」に関しては進んでましたね。

krzo

「食」
>日夜浮かぶ様
中国は日本の高度成長時代と似たような成長をしてきた、と言われる事がありますが、その程度もものによって様々ですね。食については、断然ハイペースだった、って感じでしょうか? さらに今後はどうなるのでしょうね。
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プロフィール

krzo

名前:くらぞー
中国語できない、酒飲めない、小姐と遊べないの3ない人間ながら、大連の工場に2007年6月~2011年1月の間、駐在しておりました。現在は福島県の白河市在住です。

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